シリーズ授業 1 国語 1 漢字の字源をさぐる 実践の批評と創造

 おもしろかった。
 谷川さんが、けっこう批判的に捉えていて、他の人も、わりかし本音でズバズバと自分の意見を言っている。それが、他の教育関係の本にはない、表面的なものでおわらせないものを感じさせる。河合さんだとか、教師のもっている影響力に、どんどん踏み込んで言及していく。「教師の側」、教育に携わる側からの立場だと生まれない意見がある。そこが読んでいて面白かった。
 字源そのものに関わる本質的な話も触れられる。あくまで、小学生の授業で触れられるのは、字源の表面的な部分だけだろうと思う。字源そのものが深すぎる。
 漢字というものをどうとらえるか。ある程度、先生が、見極めをもっておかないといけない。だれも、どんな先生も、漢字については、全ては説明しきれない。
 なので、漢字を創らせる、など、イマジネーションを働かせる方に趣をおく。子どもに、漢字の本当の奥深さまでを理解させるのは難しい。それよりは、子どもの想像力を活かす。教え込むよりも、知識を活用させる方に、重点を置く。

 子どもが、新しいものに出会う。新しい自分になる。
 それを、喜びとして経験する。
 そういう「場」を準備する。
 自分を開いてくれる先生の存在。認めてくれる、良さを分かってくれる、成長を喜んでくれる。
 それを実感できる授業を。

 教師が、教材を掘り下げ、「発見」しないと、子どもらに伝えられない。教師は、常に、自分を崩し、掘り下げ、追及しなければならない。そうでないと子どもと同じ土台に立てない。
 教師自身が、教材から、何らかの面白みか、興味を発見できる能力がないといけない。教師自身が、国語を楽しんでいないといけない。

 子どものイマジネーションを働かせる。漢字の成り立ちから、人間の営みまで考えさせる。

 教師が、放心して、それに子どもが気づく。かえって、教師の人間性を感じる。

 授業を受けている意識とは、もう一つ上の意識で、もう一回授業を振返らせている。

 生徒の発言を、ずっと生かす。切らない。一度切ると、もう発言しない。
 違う発言には、道化的に対応。ここでは違うよ。

 授業というものを、わりかし色々な面から、多角的に捉えることができた。人間性、意識、文化。