宮崎駿

 アニメと映画の違い。
 努力して、描けないものを描く。
 態度をはっきりさせる。
 わからないまま、放置しない。


 作品とはなにか。できあがった作品を、自身がどうとらえているか。どういった作品をつくらないといけないと考えているか。どういった作品が良い作品であると考えているか。宮崎駿は、自分が作品から、何かを感じたいのだと思う。自分が感動する作品をつくりたい。自分のイマジネーションを満足させたい。そこへ向かっていく、明確な目標がある。それと、いっぽうで、作品としての、求められる必要性がある。見られるもの、鑑賞されるもの、として、『作品』にする必要がある。そことの葛藤。どこで作品をおさめるか。湧き上がったイマジネーションを、どうやって作品として歓声させるか。
 なんとなく。人の上に必要があるのだからか、難しそうな感じを感じさせる。ほんらいは、一人で好きなものを作りたかったのだろうが、その作るものが、一人でできるものではない。多くの人を束ねる必要があるなかで、難しそうだな、と。


 後半、ものすごく単純な番組に。1時間くらい見て、損した。こういう、作り物の嘘っぽさを読み込めないとな。
 成功とか、クライマックスとか、単純にまとめられるようなものでいいんだろうか、この人って。もっとちゃんとした、つくりなのかと思えば。ドキュメンタリーっぽいつくりを模した、偽者だった。なんで、もっと掘り下げないのだろう。2年間も取材していて、対象者にたいして、なんでもっと深く入り込んでいくことができないんだろう。作品とか、発想とか、作ることとか、いくらでもテーマはあっただろうに。