憲法への招待

 憲法って、「解釈」の問題なんだなって思った。現実に即している必要がないのだと、極端に言ってしまえば。ある程度、理想としての機能を果たしていないといけないのだと、憲法って。憲法がはじめから、何か現実的で陳腐なものであれば、現実の問題を裁く時に、高みの基準がないではないか、ってなる。だから、はじめから、ある程度「憲法」としては、理想的なことを掲げておき、現実においては、その高みにある「憲法」と、実際の現実との間くらいを「解釈」によって結論付けちゃうってのが、ええんではないか、ってことだな。だから、ある意味、今の非現実的な憲法を、むりやり現実に即して解釈して、軍備だとかをえっちらほっちらやってる方が、わりかし理想的な部分で収まって、ええのではないかと思う。ちょっとでも、理想的な方へと、人間を向かわせているじゃんってことで。

p28,8 憲法の正統性①正義、理念②国民の支持
p128,6 具体的な訴訟において、どのように法律を解釈するのかが裁判官の仕事
p173,-2 モンテスキュー三権分立は、その時代の応急措置であった⇒君主、貴族、市民にそれぞれ権力を与える
p177,9 議院内閣制はほとんど政党国家となる。衆議院より選ばれる首相、首相により構成される内閣。衆議院が不信任を突きつけるのは論理的にありえない。
p194,-7 立法と司法を取り除いた全てが執行。