痛快!サバイバル経営学

痛快!サバイバル経営学 (痛快!シリーズ)

痛快!サバイバル経営学 (痛快!シリーズ)

要約

 個人の志が、組織の論理にとっては邪魔になる。官僚がもっともよい例かも。個人である官僚を尊重すると、組織としては機能しなくなる。「顧客、世間のためになっているか?」の考えが抜け落ちてしまう。顧客が、ではなく、組織が、が第一目標となる。企業は顧客の要望によって成り立っているので、暴走はおきにくい。官僚、官庁、国は、暴走がおきやすい。手段の目的化。利益を得るための融資が、融資そのものに価値がでる。結果としてバブルが起きた。外部の影響力がなくなる時、組織は暴走しやすい。エネルギーが内に向かうから。大企業、官僚ほど、その傾向が大きい。組織の暴走の原因は、手段の目的化。いつのまにか摩り替わり、目的化されたものが、組織に利益を生み出す構造になる。外部よりも、内部を優先、能力よりも組織に忠実かどうかが評価の対象に。組織が外部に向いている状態にすることが、対処法。リーダーがその役割をになう。組織の代弁者にはなってはいけない。徳川幕府は権力をすべて委譲した。よって政権を奪おうとするものがなくなり、長く続いた。

 ゴマをするのは難しい。何をすれば相手(上司)が喜ぶのか考えないといけない。また演技は上司もわかっている。演技には演技でこたえる。しかし、仕事とは上司から与えられるもの。ゴマすりがうまくいったとき、演技が真実となる。サラリーマンの人間関係。秀吉の草履あたためのような、おべっかが必要。この現実をしる。善意は誇張しないと伝わらないが、悪意はすぐに伝わるものである。

 現代の大量消費社会がこうした「企業が作り上げた幻想」の上に成り立っていることを、鋭く批判。世の中の消費の多くは無駄なものから成り立っている。需要は企業により作られる。需要と供給による価格決定なんて幻想。欲望を産み出す。需要は有限だが、欲望は無限。現代経済を象徴。ジョン・ケネス・ガルブレイス、ダニエル・ベル。コーラーはマクドナルドは、商品を売るのではなく、商品が消費されるライフスタイルの創造につとめて、マーケティングを行っている。

 すべてを数字に置き換えて、はじめて見えてくるものがある、法則など。お金がモノに変化しても、等価に記する複式簿記

 かなり面白かったな。「組織」として社会をみれば、確かに行政の腐敗だとか、企業の不祥事だとかが理解できる。これが、かなり大きなレベルだとか、流れだとかで説明されると、経済の現象っていっぺんに分からなくなるが、個人の心理の延長線上としての「組織」、そしてその組織の延長線上としての「社会」があるのだと思えば、経済が理解できる。ってこの本は経営について述べているのか。経営学の方が、視線が人間よりなのかも。
 組織に着目する視線が新鮮で面白かった。わりかし、新しい視野を得たような気がする。会社って確かにそうだな、と。個人の集まりである「集団」以上のものがある。あるミッションをこなすための「組織」という考え方が必要なのだな。純粋な人間の集まりではなく、ミッションをこなすためにコミュニケーションをしていく「組織」。そりゃ弊害もおきるわな、って思えてくる。