事実とは何か

 一章が秀逸。なぜに同じような死亡ニュースなのに、取り上げられ方が違うのか、など。ニュースは人が作るものである、そして、その「作られる時」に「人」のどのような判断・考え方が介入しているのか。そこに潜む、大衆の興味に答えるという、新聞側の見えにくい、作為。

 いわゆる「瞬間」ばかり重視し、その報道をもって歴史の証言者たりとする視点は、結局は権力のなすがままにまかせる反動的行為である。そうした「瞬間」にいたるまでの本質的背景こそが、より重大な瞬間の積分なのだ。

  • 客観的報道は不可能、立場のない選択はありえない。
  • 主観的事実こそ、本当の事実である。

 正確な事実とは何かについての以上の認識をもってすれば、表現とは何かについても自ら明らかになってくるでしょう。事実の再現が絶対的に不可能である以上、問題は事実なり矛盾なりの本質をどう捉えるかにあり、そのための手段としてさまざまな表現が選びうることになります。