探検ロマン世界遺産

私たちは同じ思いを抱くかもしれません
人間はこんなことができるものなのか と
それは歴史が教えてくれるのみです
民族主義イデオロギー人間性を打ち破るほど優先され
正当化されるたび 人間は人間にこのようなことができるのです

アウシュビッツとは、これほどひどい現実だったのか。
この遺品という映像が物語るものは
映画よりも、本よりも
遺品の整理なんて仕事があるんだな。かなり気分がめいりそうな仕事だが。歴史を風化させないってことは、こういった地道な作業に支えられているんだな。そしてNHKも、こういった作品を作ることには意味がある。どういった角度から取り上げるか非常に難しいものだと思うけれども。これは見ていられる。あまりに深く重たいテーマだけに、一般の人に見られないと、それこそ意味がなくなるし。かといってライトに仕上げることなんて絶対できない。
はじめの列車の中で生きているのはぼくだけだという発言を聞いて、すごい人生だなと思う。こういった心境、くぐってきて道のり。

僕は ここでもう一度生んでもらったんだ ボイショヴィ村で
皆さん この人の存在こそが
「人間は信じられるか」という問いへの答えです

 すごいドラマだ。この人をみて感じたのは、この人には人の尊厳をもっている。最近読んだ本にも書いてあったけれど、人は自虐史観に偏った歴史の影響で、自国に恥じ入るような人間になるわけではないってことだな。ほんとうにしっかりした人間であれば、歴史から正確に人間の尊厳を学べる。そものも、日本人にとって、日本人に都合のいい歴史をつくること自体に意味がない。日本人にあることに対して、そこまで傾倒する必要はない。日本人であることに誇りなんて持つ必要はない。

人は皆 見知らぬ隣人さえ 自分の家族と思うべきです
家族がこんな目にあったらどう思うか考えてみるべきです
原爆を落とした人は その時 そういうことは考えなかったのでしょう

こんなにわかってもらえて私は幸せものです。

民族や経済の利益のために
まだ 他の人を
支配しようとする人々がいます

やっぱ、どこまで人間の尊厳に目が届くかだろう。広島の元市長が話していたように、韓国にも被爆者がいた。そこに目が行き届かなかったことに恥じ入るという気持ち。自分が被害にあったと感じ、その暴力に対して反抗するだけではいけない。自分も支配の側に立っていないか?虐げる側に立っていないか? にまで目が届かないと。