評論入門

*購入予定
 うん。まぁ、半分あたりまではいい本だった。
 評論というものが、いかに間違いが起こりやすいジャンルであるかがわかった。ようは、エンターテイメントでないのに、売れないといけない、人を弾きつけないといけないのが前提としてあるために、間違いがおこりえる。具体的な間違いを指摘していくあたりはよかった。しかし後半の「論争」についての部分以降はかなり私的なことで退屈。読んでいて、明らかに知的な興奮の感度がさがっていくのがわかった。

 ここで定義されている「評論」ってのは、まぁ、ちまたに出回る学術っぽい本のことで、新書なんかもろこれに当てはまる。だから、最近は新書か学術っぽいものしか読まない僕にとっては、読み手としても非常にありがたかったし、またそういう分野に携わりたいなぁと思っている身としても参考になった。
 たしかに大学時代に読んだ心理学の本と同じようなものを近くの図書館で求めようとしても難しい。認知心理学の本なんて無いに等しいし。
 新書とかってたしかに読み易いし分かり易い。それに短くコンパクトに論旨がまとめられているから簡単に読め、知識を獲得した気になるのだけれど、その分、怪しいものも多いのかもしれない。かなり間の部分をはしょっているわけだし、読み物として必要な面白さを考慮して多少は大仰に書かれている部分もあるのだと思う。心理学の本に関しては読んでいて違和感を感じることはないけれど、もっと専門的に心理学を勉強している人が読めば、怪しいという判断を下すのかもしれない。心理学以外の本に関しては、正しいのかどうか知識がないため、如何せん判断できない。
 ただし、この人が俎上に載せてるのって、文学系の本が多いから、文学に関してはいい加減なものが多いのかもしれない。とくにニューアカといわれたものがかなり厳しく批判にさらされているが、熱がさめた今から省みると実際にそうとう酷かったんだろうと思う。みんなわかんないから、通り過ぎていって、裸の王様みたいになっちゃたんだろうけど、冷静に分析すれば、いつかはわかることだったんだろうと思う。
 そういうことを理解さしてもらったのはよかった。ちゃんと本を読んで、精読している人が「これはひどい」と言っているのだから、たしかだろう。「ものぐさ心理学」って、わかりにくい部分が多くて、冷静に考えてみればすっごく単純なことしか言ってなかったように思う。「甘えの構造」も読んだ時、いまいち論旨がはっきりしているように思えなかった。こういう本はのちのちの引用された時の解釈の部分だけ理解していればいいのだと思う。原書を読むことが必ずしもよいことではないということだな。


さてと、これから、もっと突きつめて書いていかないといけない。
ある程度、だらだらと読んで感じたことを書いていって、そこから"じんわり"見えてくる部分を書いていかないと力にならない


 って、一種の活字リテラシーなんだろうなぁ。テレビのウソとか、報道のウソとかは学ぶけど、活字のウソってのは突き止めにくい。一次情報と照らしあわさなきゃならないけど、解釈とか主観とかがはらんでくる。そこにむちゃくちゃな表現、言葉遣いで難解なことを書かれたら、もうだれも事実かどうか、正論かどうかなんて判断できない。往々にして活字ってのはそういうことが起こりやすい。書いている本人が、なにか抑揚をつけてやろうとか、アジってやろうとか、名文を意識したり、そういうことがはらんでしまうものなのだ。そして、それが許されるってきらいがあるんだよなぁ。って、はざまのなかで、やっぱこりゃいかんやろって部分を明確にぶったぎってる。そこが面白かったわけ。それと、そのぶった切りながら、やっぱどこが悪いかをはっきりと結論付けているところだな。これがとっても明瞭で、ここちよい。
 それと、いろんな本を批評しながら、作者と作品の関係がわかったり、また作品と作品の関係もわかる。こういうことを述べているけれど、実はこの元ネタはここにある、なんてのは、なかなか本を読んでいる人じゃないとわからない。てか、情報源の間違いを指摘するあたりはちょっと尋常じゃない。普通の記憶力だと、たぶんでてこないような知識なんじゃないかと思う。「作品」というか「テクスト」というのか? とにかく、書かれたものってのは、すべて書かれたものの中の森羅万象に関係しているのだなってことがわかる。一つのテクストはあらゆるテクストに関係しているのだと。まぁ、そんなこと、文学を専門にしている人は基礎中の基礎なんだろうけど、これを具体的な書名でもって、しかも内容も詳細・具体的に知らしてもらえると、かなりビビッドに理解できた。「活字の世界にようこそ」なんて題があったけれど、ほんとうに、活字の中の知識の網状・つながりを知ったように思う。