困ったときの情報整理

u09042007-09-28

 そこに展開されている議論について、はっきりと自分の価値判断をすること。善し悪しを公言して、その説明ができるように努めること。読書は格闘技のようなものであって、いつでも勝負なのだと思うことで「読み」鋭さが生まれるのである。

 一定以上の知識を持たなければ考えることもできないし、〜

 拾い読みしてみて、何も引っかからないような本は十中八、九は役に立たないだろう。何かまとまったことが言いたければ、最初の方でだいたいの主張が分かるように書かないほうが悪い。〜。〜、たとえその本が面白くても、理解できたと思ったらやめてもかまわないとすら書いている。〜。いいたいことがあるならば、機会を捉えて至るところでハッキリと言うべきなのだ。何かありそうに見えて、何もスッキリと言わないような本は読む必要がないのである。

・はじめに、「この章では〜ということを述べる」などと何を書こうとしているのかを書いておいて、続きを書いていく。

 今でも同じことを言われたら、答えは何もない。かろうじていえるのは、たまにそういう本に巡り会う人もいるだろうということだけだ。人生の悲惨な状況では、「情報」と呼ばれるようなものを求めて得た知識など、ほとんど無力になってしまう。
 そんなことはない、聖書や仏典といった宗教書があるじゃないか、多くの思想家が書き残してくれた、さまざまな人生論というものがあるではないかという人もいるだろう。しかし、私にはお手軽に宗教書や人生論だのを奨める気がしない。〜。
 そうした本は、おそらくは現実の試練とそこに書かれた言葉を行き来する間に、かけがえのないものになっていくのだろう。そういう本は意外に、宗教書や人生論でない場合があるかもしれない。すくなくとも救われる必要が生まれたから、その本を読めばいいということではない。