漢文学

日原利国
荘子

 自然に従って、人間のさかしらを捨て、安らかで自由な生活を楽しもうとした。それは、汚れた暗い現実社会を見つめ、人間存在の有限の自覚から生まれたものであろう。現実にいかに対処するか。人生をどのように生きるか。平和な時代に、陽のあたる道を歩み、社会の主役を演ずる者には、荘周の思想は共感を覚えないであろう。だが冷く暗い乱世を生き、逆境に落ち不遇にあえぐ時、荘周の思想は、人の関心を呼ぶ。荘周の説く悲しみや恐れ、自然への順応、深く豊かに生きる個人的解脱など、すべて逆境に泣く人生の敗北者への呼びかけにほかならない。

李白

 李白はいわば自然児で、その一生は放浪の連続であった。任侠に交わり、宮廷に遊び、山野に隠棲し、都会の酒宴にひたり、波乱万丈の生涯は、一遍の物語をなす。

 現世の快楽にのみ満足せず、道教の思想に共鳴し、神仙を理想とし、不老長者を願った。有限の人生をこえようと夢想したのである。

 将に酒を進めんとす―「将進酒」と題する楽府の一節である。はかない人生に、何で名を惜しみ金を惜しむのか、いざ酒を飲まん、と呼びかけている。

杜甫

 杜甫の生涯は、苦難と不幸の連続であった。だが彼はそのなかにあって、常にそれにたえる意志を探し求め、人間への大きな誠実を見失わなかった。人間への誠実を起動力として、広く人間の心理を、あるいは自然の感動を、力強くうたったのである。そこには、現代人に通ずる繊細な神経のおののきと、古代人特有の強烈な精神とが兼ね備わっている。

*この本を読んだ後、言葉に対する「感覚」が変わった。"文語体"に目覚めた、と言ってもいいと思う。