やさしい教育原理

 学ぶことは変わること。学ぶことは楽しい、世界が違って見えてくる。その楽しさがわかれば、自分から勉強しようと思えるようになる、

 道徳は個人のうちに内在して、はじめて機能する。

 授業のうまい教師。

 具体的、絶妙な比喩で、わかりやすく説明。簡略な図で、難解な内容を説明。子どもの疑問つまづきを生かして発問と結びつける。子供の集中力を鍛え、確かな思考力を育てる。
 子供がどのような状況にいるのか、教材をどのように受け止めているのか、瞬時に分かる。
 相手(子ども)の理解/反応に瞬時に対応できてこそ、講師の実力は上がる。将棋において、相手の手を読んで、対応できてこそ、うまくなるように。
 講師という立場に胡坐をかいてはいけない。謙虚になることは卑屈になることではない。自分を"ひらき"、成長させることにつながるという意識を持ち続けること。

 教材研究で大事なことはその教材がどのような内容を含んでいるのか、またどのような具体的な事実と関わりあっているのかということを考えてみることです。そして、その教材の核になるものをはっきりさせることが必要です。このような作業を行うことによって教師は授業において子どもたちのもっている既有知識や既成概念などをその教材を使ってゆさぶり新たな考え方を手に入れさせられるような授業をつくることができます。子どもたちが自分の知っていることやできることを活用しながら、まだみたこともない世界へと自分の力で到達できるように仕組んでいくことが授業というものの大事な原則です。そのためには教材について知るということと同時に学習する子どもたちがどのような考え方をもっているのか、教材をどのように受け止めるのかを知ることが必要です。

 しかしこれまで考えてきたように子どもの思考は具体的で、日常生活に密着した誤解や誤謬を多く含んだ認識と密接に関わっています。教える内容は抽象的なものであり、人間がつくった決まりごとを前提として成立しています。ですからそうしたいわば約束ごとの世界と子どもたちの認識との隔たりは、かなり大きなものであると考えたほうがよいのです。
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 子どもたちはまだ専門的な学問・芸術の言葉を使いこなすことができないので、日常生活で身につけた言葉を手がかりにして必死に新しい言葉を学びます。

 よい授業とは、生徒のことがわかっていないと成立しない。生徒の知識を理解して、そこから新しい概念へと導いてあげる。また、子どもの使っている"日常言語"を活用して、抽象的な"大人の"言葉へと近づける。この、子どもの言葉から大人の言葉への移行の方が難しい。「対立」、「対比」とか、ぱぱっと言ってしまった方が簡単だが、「逆になっている」「2つと比べられている」とか使わないといけない。特に小6の生徒とかが大変。小4は、子どもの言葉と、大人の言葉の差が、それほどないが。小6の方は差がありすぎる。教えようとしている「言葉」と、子どもが認知している「言葉」にかなりの隔たりがある。
 それと、自分自身の内なる言葉も貧弱であるな。こういう専門書をちゃんと読めないのも、問題がある。書き言葉もすごくいい加減であるし。もう少し言葉を習熟しないといけない。しっかりとした型ができて、はじめて崩せるというし。指導に関しても、ちゃんと理解できてはじめて、絶妙な比喩だとかがでてくるものだろう。
 この本に関しては、自分にとって必要だな、と思えるところだけを拾い読みした。図書館で借りた本の、ある意味強みである。教育に関する本はじっくり読まないといけないと思いながらも、「いま必要」なところをとりあえず読んで返さないと時間がない。逆に言えば、その「いま必要」なところを見つけ出せるから、いいのかもしれない。