憲法とは何か
- 作者: 長谷部恭男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/04/20
- メディア: 新書
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戦争を単純な国家間の戦いと見ずに、考え方の違いから生じるものとしてみる。考え方の違い=憲法の違い。憲法は、国家の考え方を表している。
憲法によって、愛国と反逆者が定義される。はじめから「愛国」、「反逆」なるものがあるわけではない。
第二次大戦、冷戦が、国家の「考え方」が絡んでいるのだということがよくわかる。議会制民主主義、ファシズム、共産主義。ファシズムの日本とドイツが破れ、そのあと議会制民主主義と共産主義による"冷戦"が始まる。東西に分かれたドイツは、ある意味、その典型的パターン。
p140
近代社会の需要に対応して法を意図的に制定・改廃する必要が生じ、憲法が生み出されたとき、人々は社会生活のルールが日常の生活感覚から乖離し、経験や直感によってはそれを知ることができなくなったことを悟る。法律は専門家集団のものとなり、専門家の判断を聞かなければ、人々は、自分たちの従うべき法が何かも知ることができない、そうした境遇に置かれている。憲法を成文化し、それ自体を意図的に制定・改廃の対象としようとする動きは、失われた法を再び自分たちの手に取り戻したいという人々の欲求の現われと見ることができる。民法や刑法はともかく、憲法ならわれわれでも理解できるし、我々自身の手で変えられるというわけである
p9,-2
p10,3 私的な領域と公的な領域とを分ける
p13,8
p17,-4
p24,3
p37,-5 「愛国心」は憲法に構成される政治秩序に対して向けられる
p46,1
p47,-2
p50,-4
p54,1
p69,8 近代以前は、正しい生き方は協会の教えだた一つ。近代以降、多元的に。
p91,7
p100,2 『政党の役割』=社会全体の課題、要求を読み取り、国民全体にアピールするために集約し、実行可能な政策として提示する
p104,2
p133,-5 法は変更可能、道徳は変えられない
p173,-7
p179,6
法律学って、究極の論理学のような気がする。現実を扱う論理学。はじめに憲法ありき、のように感じていた。でも、憲法を解釈して、法律、判例などができあがっていくわけで。その憲法の存在理由みたいなもの、背景にある考え方みたいなものを、つねに捉えなおされている。それが何十年も行われているから、今更憲法を変える意味がない、という考え方もある。それが筆者の主張でもある。
憲法って、ある意味、絶対的真理のように存在しているものだと思っていたから、こうやって解釈が与えられたり、論理的に説明されたりすると新鮮に感じる。