右翼と左翼

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

  • 知的エリートは天皇機関説を理解していた。一般庶民は理解しておらず、天皇の神聖(庶民用のフィクション)を鵜のみにし、時代が下るにつれそちらが主流になる。大日本帝国憲法は、あいまいにして、右にも左にも解釈ができた。日本国憲法は左に明文化。
  • 国連成立時は平和で、憲法9条の理想もありえた。冷戦化とともに、アメリカにより再軍備
  • ポスト構造主義のような思想は、批判のための批判でしかない。知的遊戯で現実的な理想はもっていない。
  • 右−左の両極に理想はない。個別の政策にのみ機能する。微調整としての役割をはたす。ワークシェアがおきている。
  • 右−左は単一線上でなく、多次元的

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 フランス革命の影響をヘーゲルがうけてたってのをはじめて知る。そこからマルクスにいたるのも納得。やっぱ歴史から視線が大事なんだな。物事は時系列にそって考えるべきなんだ、と。フランス革命インパクトはやっぱでかいだろうな。社会が変化して、階級が既成のものでは収まらなくなった時、革命がおこる。フランス革命を解釈したとき、ヘーゲル弁証法として表現、マルクスは唯物史論として結びつけた。
 正直、前半はよくわからん。要は右翼左翼は相対的ってこと? 基本を把握せずに、流し読みしすぎて、ごっちゃになっていった。
 日本近代現代史のところはわかる。薩長士族が権力を持ってしまって、それを突き動かそうとしたのが『自由民権運動』だったてのが新鮮。なるほどね。
 たしかに左翼に感じる歯がゆさは、極論が見えないからなんだよな。どっかで歯止めがかかってる。9条まもる、軍備を否定する、その先が見えないもんな。極論を示せばどうなるのかがわからない。ま、しかし、妥当であると思わせる「理念」で十分ってのもある。その妥当な理念も、わかりにくい。逆に右の方がシンプル。現実だから、考えやすい。そこに惹かれるのだろうか? そもそも軍備って、システムとしてもっといい方法がないんだろうか。人類の知を活かして、戦争が起きない『システム』が考え出せないだろうか。右は右で不毛な議論な気もするしな。