一冊で人生論の名著を読む―人の生き方がわかる珠玉の28編

本田有明

マルクス・アウレーリウス「自省録」

 何かをするとき、いやいやながらするな、利己的な気持ちからするな、無思慮にするな、心に逆らってするな。君の考えを美辞麗句で飾りたてるな。余計な言葉や行いを慎め。曇りなき心をもち、外からの助けを必要とせず、また他人の与える平安を必要とせぬよう心がけよ。人にまっすぐ立たされるのではなく、みずからまっすぐ立っているのでなければならない

 君が何か外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。その判断は、君の考えひとつでたちまち抹殺してしまうことができる。また君を苦しめるものが君自身の心のもちようにあるのなら、自分の考え方を正すのを誰が妨げようか。同様に、もし君が自分に健全だと思われる行動をとらないために苦しんでいるのだとしたら、苦しむかわりになぜその行動をとらないのだ

 ところで君は、いったい何に対して不満をいだいているのか。人間の悪に対してか。だったら次の結論を思いめぐらすがよい。理性的動物は相互のために生まれたこと、互いに忍耐し合うのは正義の一部であること、人は心ならずも罪を犯してしまうことを。

 人に善くしてやったとき、それ以上何を君は望むのか。君が自己の自然にしたがって何事かを行ったということで充分ではないか。その報酬を求めるのか。それは目が見えるからといって報酬を要求したり、脚が歩くからといってこれを要求するのと少しも変わりない。これらのものが、その固有の構成にしたがって役目を果たし自己の本分をまっとうするように、人間も親切をするように生まれついているのである。他人に親切をつくしたり、公益のために人と協力したときは、彼が創られた目的を果たしたということであり、自己の本分をまっとうしたということなのである。

 作中の「君」はすべて自分自身への呼びかけである。

トルストイ「人はなんで生きるか」

 「六年前からきょうまで、私が人間として生きてこられたのは、通りすがりの人とその奥さんの心に愛があって、私を憐れんでくれたからです。双子の孤児が生きてこられたのも、他人である女の心に愛があって、ふたりをいつくしんでくれたからです。人は自分の力によって生きているのではありません。愛の力によって生かされているのです。心の中に生きている神さまとともに」

エーリッヒ・フロム「愛するということ」

 人間の愛情関係が商品や労働市場を支配しているのと同じパターンに従っているとしても、驚くにはあたらない。

 愛は能動的な活動であって、そのなかにも「落ちる」ものではなく「みずから踏み込む」ものである。わかりやすくいえば、愛とはなによりも与えることであり、もらうことではない。
 「愛する=与える」とは、自分のなかに息づいているもの、つまり自分の喜び、興味、悲しみなど、あらゆる生命的なものを与えることである。人は自分の生命を与えることによって他人を豊かにし、自分の生命感を高めることによって他人の生命感を高める。

 責任はどうか。今日では責任というと、たいていは義務、つまり外側から押し付けられるものと見なされている。しかしほんとうの意味でのそれは、完全に自発的な行為である。責任とは、他の人間が何かを求めてきたときの自分の対応であり、「責任がある」とは、他人の要求に応じられる、応じる用意があるという意味なのだ。

 そこから脱出するためには「信じる」ことの習練が必要になる。それは、ある教義や宗教を信じることではない。権威や多数の意見などに頼らず、自分自身の観察力や思考力、判断力などにもとづいて、理にかなった信念をもつということである。理性的な自己を維持し、自分自身を信じている者だけが他人に対しても誠実になれる

山本常朝「葉隠

 まさに只今の一瞬に徹すること、それ以外はない。一瞬、一瞬と積み重ねて一生となる。このことをよく自覚すれば、うろたえることもなく、何かを探しまわることもない。この一瞬を大事にして暮らすまでのことだ。たいていの人はここのところを勘違いして、別の行き方があるかのように思いなし、それを探しまわる。常に一瞬を大事にして努めるようになるには年の功を積まなければならない。しかし、一度でもその境地に達すれば、いつも思いつめていなくても大丈夫だ。すべてはこの一瞬に極まっているのだという事を心得てさえいれば、ものごとは簡単に運ぶものである。

 物を知れば知るほど、逆に道から遠ざかってゆく。そのわけは、昔の聖賢の言行を書物で知ったり、人の話を聞いて覚えたりして見識が高くなるうちに、自分も聖賢になったるもりでうぬぼれ、一般の人を見くだすからである。これが道を知らないということだ。道とは自分の至らぬところを知ることである。いつも思いをめぐらして自分を反省し、一生をかけて努力することである。