近藤ようこ

「見晴らしガ丘にて」
 インテリの文学青年が、浅学な文学知識を披露して、思いを寄せる女性に優位に立とうとする。が、しかし女性の方が上手で、青年のとってつけたような文学嗜好のさらに上を実は行っている。そうしか関係を見せながら、最後、その関係の結実が見える。この作品、男の側として見て面白かった。おれもこうなりやすいし、そして、最後こうなってほしい、なんて考える。これは読んでいてちょっと衝撃だった。

出口のない感情がある
吐き気のような孤独がある

 あとは、女性の淡々とした日常生活の中にたまる鬱憤、そうした日常生活の鬱積から、一瞬だけ開放される瞬間を描く「プレゼント」がよかった。日常の平凡な生活の中でたまっていく、その鬱積感は、男性との性的な摩擦から生じ、そして開放は女性的な輝きによって起こる。ちょっと考えてみると、この女性は、日常は男性的で不潔だが、女性的な清潔感によって救われるという点において、苛立ちを感じてる物、そのものが、実は救済もする、って考えることもできる。すべては日常の摩擦から積もっていき、非日常によってふっと開放される。この日常が開放的であれば、こうはならない。

いつか別れるかもしれないな
別れるかもしれないな

 「となりの芝生」これも、表向きは普通の夫婦。だけど、どこか妻の思いは夫に伝わっていない。夫の本当の気持ちもわからない。そして最後になって、はじめて主人公の気持ちが分かるのだが、この時になって、はじめて妻の気持ちの奥底をしることができる、という点において、読者も妻の気持ちを読みきれていないことがわかる。日常の淡々としてことから、感じる「生活の本当のこと」、を表現していると思う。