干刈あがた

 基本的に人生を「肯定」することに向かおうとする。だけど目の前にあるのはただの閉塞感。学生紛争の時は、「明確なメッセージ」を「目に見える敵」に向かって発することができた。けれども、今はどこに声を発すればいいのか? そして誰が声にこたえてくれるのか。今は自分の声すらも見当たらない。あの時のブルーフラッグが象徴するものは今はない。亡くなってしまった女性、彼女が生きていれば、いま、何というメッセージを現代に発するのだろうか? 超えられなかったあの時の一線は、今はさらに大きく、そして見えにくくなっている。「私」はそこそこに満足している。幸せだと思えば幸せな状況なのだ。だか、もう「声」は発せられない。そして誰も答えてはくれない。なにもかも見えにくい社会になってしまった。あのころに比べて。あの時の「声」はなんだったのか? 亡くなった女性よ、答えてください。