狼の太陽

マンディアルグ生田耕作

 陶器の縁まで泡を盛り上げ、おまけに浴室の青いタイル床の上まで大粒の水滴でおおわれた、木苺入りソフト・クリームをあふれるばかりに満たした浴槽のなかに七月の午後裸でもぐり込み、ひんやりした小波に包まれた、そのときの気分を想像してもまだ及びつかない、それはやさしさそのものとでもいうべきものだった。

 読んだのは2日くらい前。この本は読後すぐに感想を書くべきだった。まず、訳文がすごい。これまで読んだ訳文の中で一番濃厚。ちょっと前読んだ「香水―ある人殺しの物語」の池内紀の訳文にも衝撃を受けたが、これはさらに上をいく。ぼくの中で翻訳の神様だった柴田元幸さんの存在がかすんできている。柴田さんはおそらく『透明感』のある訳文を目指しているんだと思う。さっぱりとして分かりやすく、リズム感のある文章を。だが、一度『濃い』訳文にふれてみると、その透明感ではもの足りなくなってしまう。より深い活字的体験をもとめると『濃い』訳文へと行ってしまう。濃い訳文とは、べっとりとして長ったらしい、分かりにくい文章と言えなくもない。マンディアルグは言葉が作り出すイメージによってその世界を創りあげていくので、この「濃さ」ってのは必要なのかもしれない。その「濃い」ことばによって、ほどんど"分けのわからない"状態になる時もあるのだが、それも必要で、そしてそれがおもしろくもある(せっかく一生懸命読んでいて、後半になって分からなくなるのが口惜しくもあるが)。活字による幻覚を味あうためには、わからなさって必要だ。
 まずは一番みじかい短編「小さな戦士」を読んだ。松林のなかで鎧を来た小人の妖精に出会う。鎧をはずしてみると、それは美しい女で...っていうエロティックな作品。これに似たエロ本を昔読んだことがあるなぁって思いながら、「マンディアルグおそるべし」と最初の印象を得る。と同時にエロ本おそるべし、とも。
 そんな感じで「女子学生」。これは前半が好感。ひたすら甘いお菓子の描写から、女学生のエロティックな描写へ! ちょっと突拍子もない現象からこの上ない甘美なイメージをいだかせる。そのあとも、お菓子の甘いイメージと女性のエロエロなイメージの描写が入り交じり、なんとも言えない感覚! 後半はわけがわからない。書店で義足の店長があらわれ、地下にいる時に、地上からその義足の音が鳴りひびくってとこは、不気味なここちよさ。
 最後、アマゾンで一番こわいってレビューがあった「生首」へ。う〜ん、小説自体はそれほど怖さを感じなかったけど、読後、この少女は「死んでるんではないか?」と考えると怖さがあった。読後にずっと不思議にのこる怖さ。読み終わってみて「あ〜怖かった」で終わらない怖さ。少女はあの夜、館の中で殺されていて、男の前にあらわれ語っている女は死者なんじゃないの?と考えると怖い。これは誤読なんじゃないかとも思う。この読後の感じを正しく表現するためにも、読んですぐ感想を書くべきだったんだよなぁ。ちょっとした衝撃だったから。残りの短編は読んでないので、半分くらいしか読んでないことになる。まぁ読むのに結構気合いがいるわけだ。途中で内容がわからなくなるかもしれないと思うと、一語も逃さず読まなければならず、そう考えるとね。