火星のタイム・スリップ

フィリップ・K・ディック

火星のタイム・スリップ (ハヤカワ文庫 SF 396)

火星のタイム・スリップ (ハヤカワ文庫 SF 396)

 ジャックは言った。「彼は、これは現実ではないと思っていた。精神分裂病の空想の世界にうつろいているのだと思いこんでいた」

 ラスト。なんなんだろう。きれいに終わりかけたところで、とつぜん奇妙なものを出現させる。少し前の主人公のセリフ「われわれの世界が、どれだけマンフレッドの世界に似ているかなんて考えたこともなかった。まったく異質なものだと思っていた。いまわかったんだけれど、これはまったく程度の問題なんだ」 このセリフと妙につながっている気がする。老人であるということは、時間を超越してるって考えられるし、半分からだが機械だっての、この主人公が見ていた幻覚(=体が透け通って機械的?に見える)と関係しているようにも思う。当然、アーニイの「この世界はマンフレッドの幻想の中だ」って考えとも関係していると思う。
 しっかし、「暗闇のスキャナー」の感動に比べたら、ちょっとがっかりかなぁ。「暗闇のスキャナー」で「ディックは若いうちに読んどかな!」って思ったのに、しりつぼみである。「ユービック」にいった方がよかったんだろうなぁ。昼過ぎ起きて、ずっと読んでいて、読後の感想がこれじゃぁな。
 読んでいておかしなとこも多いんだよなぁ。人の心が読めるレオじいさん。この能力は「おぉ」って思ったのに、ストーリーにまったく関係ナシ。グローブ博士とアン・エスターヘイジが協力しあっても、アーニイにはこれといって影響ナシ。オットーとおくさんの不倫は読んでて疲れた。ジャックの精神病的キャラクターも最初は見られなかったように思うし、息子も前半あんなけ描写されといて、後半ストーリーには影響なかったし。読みながら「キャラクターの関係図が出来上がってきたなぁ〜!」って思っても、それが作用しないし(こっちの思いこみだったのね)。最もストーリーにおいて重要と思われる、スタイナー君の神秘の根拠がいまいちはっきり分からない。「自閉症だから」なんでもできちゃうのかよ!
 ただし、良い意味で裏切られたのがアーニイ君があっちに行くところ。作中において最も現実的な男が、あちら側に行って帰って来て、「これは現実でない!」って思って現実で死ぬ、これはショッキング。ジャックに幻覚が起きるのは平然と読めるのに、アーニイ君の幻覚はやっぱすごい。説明つかないし。

 火星は地球より"劣った"世界で、基本的にみんなアウトロー。アーニイもしょせんは劣った世界を支配しようとした二流者。出てくるみんな可哀想な奴。ジャックが、他人のほんとうの姿(=心に近い状態?)が見えてしまうことによって、おびえてしまうなんて、なんとも現代的。ティーチング・マシンによるスクールでは、「ぜったいに新しいことのおこらない」。そこから外れた者がB・G・キャンプ行きってのがディックの反骨精神を表している。自分の「病み/闇」を正統化して生きていくディックの手段だったんだろう。