保坂和志

保坂 和志

Mammo.tvより引用

――小説を書き続けられているということは、それが楽しいからだったと思いますが、保坂さんが小説に感じられている"楽しさ"とは何でしょうか。
 まず、言葉の定義から話すと、楽しいことというのは、明るく笑っていられるだけのことじゃない。努力する対象や、がんばる目標があるとか、そういうことが楽しい状態です。バラエティ番組でタレントがヘラヘラ笑っているのが楽しいもんだと思っている人が多いんだけど、あれは楽しいんじゃなくて不安なんです。で、充実っていうことで言えば、大変なことのほうが楽しい。サッカーの中田とか野球のイチローのように自分で考えて努力している人は、大変だけど楽しいんだと思います。


――不安について考えることが怖いから、わかりやすい楽しさに逃げている?
 考えるとは、何か答えを見つけることだと思っているけれど、答えなんかない。疑問を持ち続けることが、答えを見つけることよりも大事で、それがたいていの人はわかっていない。小説家も一生考えている仕事なわけですけど、解けない疑問を見つけることのほうが大事。で、それは答えに辿り着くようなものとは全然違うわけです。


――答を求めず問を立てることと小説に解決されるべき事件求めない。どちらも同じ発想だと思います。
 そうですね。事件を立てると、可能性がひとつになってしまうんです。例えば将棋では、手を指さないことがいろんな手を考えている状態です。


 僕はだいたい一日4、5時間しか仕事をしないんですけど、最初の2時間は何も書かないで外を見ているだけ。〜、その2時間を何もしないでいないと出てこない。


――ことさら小説家になろうと努力したわけではない。
 そういうふうではなかった。ただ、小説では、「何で描写しなくちゃいけなくて、何でストーリーがあって、何で小説っていうのはこういう形なのか?」。書かないけど、そういうことは考えていた。〜。僕もそういうタイプの人間で、小説家になりたいからと言って、一所懸命毎日書こうとは思わなかった。努力だけしていれば何とかなるという律儀な考え方は、その枠組み自体を問わないことで、考えることをさぼっている人だと思います。


 高校時代は何にも表すこともないし、表しようもわからないから鬱々としていました。きれいに考えるための道具を手に入れたら、いろいろ言えるようになるんだろうけど、手に入れられない状態が大事なことだと思ってました。
 わかんない状態こそが信じられるというか、途方に暮れている状態だけが信じられると思うようになった。
 確かなものを手に入れようとした途端に小説ではなくなってしまうからね。
 いろいろなことについて明晰に言える人はいます。


──ところで、小説という枠組み自体を疑われて、これまで書いてこられたわけですが、小説で絶対に必要だと思う要素は何ですか。
 風景描写だけは絶対必要だと思っていて、そういう描写のある小説はほとんどないし、それだけが文体をつくることだと思ってます。どうしてかと言えば、見るということは一挙的で並列的、それに対して文章はひとつひとつを順番に並べていく直列の作業だから、風景描写であらゆる苦労が発生するわけです。苦労しなければ小説ってステップアップしない。それは網の目がもっと細かくなるとかそういうもので、そういうことができるようになれば、人間を書く書き方も変わるはず。とにかく小説家は小説を書いて成長するし、小説を書くことで人生の時間を生きていく。


 小説家は、サラリーマンが定年になるまで見ることを避けている人生を見る仕事なんですよ。サラリーマンのように働くってことは、いろんなことで時間を潰し、一番大事なことを見ないですましているってことですから。小説なんて何の役に立つ?と、バリバリ働いているつもりの人は言うんだけど、そういう人だっていずれ働けなくなるし、そのとき人生そのものに向かわざるを得ない。逆にそういうことにしか僕は関心がないし、大事なことだけ見ている時間しかないだろうと思います。


──高校生の中には、小説家志望もいると思います。小説家になれる資質というものはありますか。
 何にもしないことじゃないかな。自分の心細さとか不安だけを信じる。わかりやすい何かを身につけたりするんじゃなく、そんなものは時間さえあれば身につくんで、技術が技術となってくるプロセスを追うような思考力を考えることなんじゃないかな。

 なんとなく、「こうでなければならない」って今のぼくの考えを和らげてくれた気がする。わけのわからないものを、考えてつづけている状態で表現する、その手段でいいのだということ。これはひとつの発見。文学というのはある種の答えの提示かと思っていたけれど、こうやって、「わからない」「考えつづけている」状態を表現している人がいるのだと思った。この人の主張も考え方も、そして生き方も、なんとなくわかる。共感できる。
 こういう文章との出会いも大事だ。今のぼくが求めているものがこの文にはある。