教養としての名画

u09042007-05-19

レオナルド

 レオナルドは"万能の天才"であった。解剖学や自然科学など、あらゆる分野に精通していた彼がカンヴァス上に描きたかったのは、彼の"宇宙"だったのではないだろうか。そして、レオナルドは、絵画に"生命"を吹き込んで、彼の宇宙論をカンヴァス上に展開したかったのではないか。

カラヴァッジョ

 斬首された後も無念の表情を浮かべている聖ヨハネ、それを取り囲んでいるのは残酷なまでに無関心な人々、そして画面には現れていないが、そこに確実に存在している残忍な意志...。

マネ

 「絵画の手練手管は、われわれをすっかり駄目にしてしまった。どうやってそこから脱出するか、誰がわれわれを単純かつ明断にしてくれるか、誰がわれわれを虚飾から救い出してくれるか...。真実とは、誰がなんと言おうと気にせず、わが道を直進することではなかろうか」

ゴッホ

 「簡明な深い青、澄み切ったコバルトの空に協会の建物が紫がかかって、ステンドグラスの窓がウルトラマリンの斑点のように見え、屋根はスミレ色で、ところどころオレンジ色をしている。前景には花の咲いた緑と草があり、日の当たったバラ色の砂がある」

 しかも、陰影は左右に広がっているのだから、二つの光源がなければならないのである。これはゴッホによる確信的矛盾であると思われる。

シーレ

 「堕落するとは、そもそもどういう意味なのか? 大人たちがどれほど堕落していたか、大人たちはみんな忘れてしまったのか? 性の狂おしい衝動のために、いかに活気にあふれ興奮させられていたのかを。私はそれを忘れていない。なぜなら、私はそのことで恐ろしいほど苦しんだからだ」
 抗うことのできない性と死、そして後に残る孤独。「堕落した大人にはなりたくない、永遠の子供でいたい」と思っても、時はそれを許してはくれなかったのである。

 クリムトの描くエロティックで華やかな作品と、シーレの描く暗くぎこちない作品とでは、その印象は対照的に思える。ところが、この二人の関係は、生徒死が表裏一体に結びつくという点で、硬い絆で結びついていたのである。